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こざかしい鞭より、やっぱりウイグル獄長はこれだ!

管理人: A級闘奴 mail★warden.x0.com [change★to@]

極北の大地で掘り起こされた太古の生き物、良くも悪くも堅さがとりえ。しかし不覚にもメイド喫茶でドキドキしてしまった田舎暮らしのオヤジ。

 

北斗の拳は、幸か不幸か原作・アニメ版ともリアルタイムではほとんど見ていない。その分あとから再燃してしまった。

 

管理人の獄長フリーク顛末記:その1

北斗の拳との出会い

そもそも北斗の拳は、前身に月刊ジャンプでやってた現代版北斗の拳を実は初回から読んでいた。もともとマンガを読む習慣がなく、たまたま見た雑誌だったが、秘孔による内部からの破壊と、時間差の爆裂は画期的で面白いなと、毎月読むようになった。しかしいつの間にか連載中止になり、その後は取り立てて気にとめていなかった。ところが間もなく週刊ジャンプで世紀末救世主という新設定でスタートしていた。しかし当時の私の感想としては、ケンシロウをわざと怒らせ惨殺行為に向かわせるように仕組まれたストーリーが好きになれず世間がブームになったころは全く読んでいなかった。

ずいぶん時間がたった学生時代に下宿のマンガ室の古い週刊ジャンプを何となく読み始めた。相変わらずケンシロウを怒らせて惨殺しまくる内容だったが、画力もアップしていて独特の濃い世界に興味が出てきた。ラオウが出てくる辺りまでは、吹っ飛ぶ悪役が売りの作品なので、惨殺されまくる悪役側から読んでみた。すると死をもいとわぬ悪役たちの愚かさが、妙に切なく思えてきた。

訳のわからん正義を振りかざすヒーローのために、悪役は積極的に悪を演じなければならない。ケンシロウの場合、兄弟ケンカと恋人剥奪でかなり屈折し、乱世を斜に構えて見るニヒルなヒーローであり、しかも残酷きわまりない殺人拳を正当化する必要があることから、悪役も半端ではすまされない。そればかりか、悪役は物語を盛り上げるために壮絶な死を自ら演出しなければならない。また自分が派手に散ってこそ価値ある存在だとわきまえている。そして悪役たちは強くなければならない、そうでなければヒーローが強く見えない。原哲夫の描く悪役には、歴戦をくぐり抜けてきた逞しい肉体と、乱世を生き抜くために身につけた悪がある。それを北斗神拳の前に差し出しているのだ。

 

熱き悪役たち

ラオウ戦以前まではその構図がはっきりしている。中でも強烈な印象を残したのがウイグル獄長だった。これは少し意外に思われるかもしれない。バイキングの様な屈強で凶悪なビジュアル、不落の伝説を鼻にかけ挑戦者を喜ぶ不遜なまでの自信、かつての鬼たちを恐怖で震えあがらせ極悪暴君ぶりを遺憾なく発揮し、倒すべき悪役を売り込む・・・・・・・しかしウイグルは、その後の物語のキーマンとなるトキという男の重要性を 単に演出するためだけに用意されたボスキャラと言うのが本当のところであろう。 トキの番人であるウイグルの力が強ければトキへの期待度が上がり、ひいてはこれから先に待ち受ける拳王軍が、今までのパンク系の輩と全く違う伝説の軍団であることを宣言する演出意図のもとに配置された悪役だ。

一方、北斗の拳で圧倒的人気を誇るのがラオウだ。ケンシロウと同じものを求めながらも全く違う道を選び、自ら手を汚し悪役として対決をしていく構図上ラオウは裏の主人公であり、真に北斗の拳を支える人物であろう。 それ故にファンの人気もケンシロウをしのぐのは当然のことだ。 そして混沌の時代の中、誰も乱世を終わらせることができないなら、自分が鬼となって平定しようとしたラオウの求心力は、様々な強者たちを集めていくこととなる。 雑兵はともかく拳王軍の幹部は、そんなラオウに忠誠を誓い命を預けた男たちだったはずだ。 中でもラオウを崇敬しながらも、トキとケンシロウの邂逅をはばむ時間かせぎの捨て駒として使命を全うしたウイグルは、誰も見返ることのない不遇の猛将だと私は思うのだ。 ラオウとて、本気でウイグルにケンシロウが食い止められると考えていなかったであろう。 だからこそ、どうしても光を当ててやりたい悪役だ。

シンのように恋敵でもなく、ジャギやアミバのように兄弟を語る狡猾さもなく、ウイグルは、ストーリーを盛り上げるための演出機能の一つに過ぎない存在なのだが、パワーあふれる巨体を武器に蒙古覇極道という北斗の拳には珍しい非打撃系による「力のせめぎ合い」や、決して負けを認めないむき出しの闘争心、そして悪役として運命付けられた凄惨な肉体崩壊の最期を迎えてもなお、ラオウから託された使命を愚直なまでに全うしようとする死力の姿は、悪役ファンでなくとも一目置かれるキャラクターだ。(北斗神拳で肉体崩壊した後、復活した男は他にいない)  

北斗の拳という押しも押されぬ世紀末巨編の中で、重要人物でもなく、怪力巨漢タイプはザコと相場が決まっているにもかかわらず、こともあろうに北斗神拳に無謀にも体一つ、体当たりで向かっていくウイグルの姿に、私は体の震えを感じながら読みふけったのを今でも憶えている。北斗の拳に悪役は数々あれども獄長は最高の悪役だと、私の中に深く刻印された。 こんなザコ一匹の情熱にも熱くなってしまうのが、あらためて触れた「北斗の拳」の衝撃であった。

 

失望と原動力

それがウイグル獄長を描くようになったそもそものきっかけだ。その時の震えるような感覚を絵にようと、いろんなシーンを描いた。鉛筆で何度も書き直して紙に穴がよくあいた。2mの紙を壁に貼ってパステルで描いたこともある。だが未だに満足のいくものが描けたためしがない。自分の画力もさることながら、想像力の限界を感じた。ウイグル獄長に関するすべての資料を集めようと思ったのもそのためだ。ちょうどその当時アニメも放送を開始していた。しかし動く獄長が見たくても、テレビもビデオも持っていなかったし、下宿にはアンテナ線すらなかった。友人に見せてもらうにも、いつ登場するのか情報さえ分からず、まして毎週電気屋の店頭に見に行くなんてことは現実的ではない。結局アニメ版は見ることができなかった。だが当時の経済状況ではどうにもならなかったし、そのうち再放送もするだろうと割り切って諦めた。だがそうこうするうち、北斗の拳への執着も次第に忘れていった。

数年後、社会人となってAV機材に関してはひととおり揃った状況になり、ふとアニメ版が見れなかった昔を思い出した。気になりだすと急に見てみたくなるものだ。アニメ雑誌で地方の再放送スケジュールを探すようになった。しかしそのころは再放送もさんざ見飽きられた頃ぐらいで、どこもやっておらず1年2年たち、また半分忘れかけていった。そんな中、何やら胸騒ぎがして久しぶりに本屋で雑誌をチェックした。そこに静岡第一放送で放映しているのをついに見つけた。

あわてて放送局に電話して次回の題名を聞いた。すると総合窓口の女性が丁寧な声で親切に応対してくれた。「明日の北斗の拳のタイトルですね?少々お待ち下さい。」 社会人が、たかがアニメのタイトルで電話するのも何だなと思いつつも、もし過ぎていたらまた数年再放送を待たなくてはいけないのかと心配したりした。「お待たせいたしました。 [悪党どもに墓標はいらぬ!ここは地獄のカサンドラ!] でございます。」。この女性が職場で朗々とタイトルを読み上げたことへの心配はさておき、なんて事だ!待ちに待った動く獄長が明日放映されるとは!でも明日は平日(電話も会社抜け出してした)会社がある。当時東京に暮らしていたので、会社を半休し新幹線に乗って静岡までいくことも考えた。だが、どうやって放送を録画すれば良いのだろう。小型液晶テレビも持っておらず、持っていたとしてもきれいに映るはずがない。さすが断念をよぎなくされた。

しかし翌日、あと2時間で放送開始というとき、仕事中にもかかわらずどうしても諦めがつかなかった。しかし今から静岡に行く訳にもいかず、結局当時一般的になってきた便利屋に依頼することを思いついた。タウンページで静岡市の便利屋を調べ、会社を抜け出し電話した。便利屋さんも、きょとんとした感じだったが引き受けてくれた。間に合った。今日夕方5時のアニメ録画して1万円ナリ! そしてそして、待望のビデオが届いた。早く見たかったので職場に届けてもらった。残業も早々にドキドキ電車にゆられ1時間30分、やっと自宅のビデオデッキに挿入!と、でてきたのは・・・・・・・カナメプロの獄長だった!!しかもVHSの3倍で録画されているし!

このときの失望は、想像に難くないであろう。それでも郷里大輔の声で獄長が動く事自体、マンガでは得られない強烈な存在感があるので気を取り直し、絵についてはテレビから思いきり離れ、脳内補完して見ていた。 その間、喜びと嘆きが交互にわき出た。しかしとうとう我慢も限界に達し、最後のトドメの百裂拳にはたまらず画面に向かって怒鳴っていた。なんだこれは!ひどすぎる。

これじゃ獄長も浮かばれん。ついに私は補完した絵を描こうと決心するに至った。

 

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