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悪役の魂

物語

カサンドラ陥落後、駆けつけた拳王親衛隊もケンシロウの敵ではなかった。ついにケンシロウはトキとの邂逅を果たした。抑圧された人々は自ら立ち上がり、恐怖の呪縛から真に解放された。しかしウイグルとてカサンドラの番人にすぎない。その背後に君臨する拳王。恐怖の門は、まさに開かれたばかりなのだ。

 

補完理由

今度こそウイグルは絶命したので、その後の画面に映ることはない。したがって補完する元絵もない。

ウイグルはトキの重要性と、新たな展開となる拳王の影をしっかり刻印し、その役目を終えたのだ。しかしながら、テレビ版の不適切な作画と演出では、それが存分に果たされたと言えるのだろうか。

ケンシロウは、倒した男の屍を踏み越えていく。乱世が男達を呼び、世界の再生にふさわしい男かどうか試すのだ。既に物語の結末が見えている今となっては、覇を唱える拳王軍の進軍も、拳王の夢の跡に思えてならない。だが拳王は志なかばとは言え、その魂は天に帰っても輝きを失わず、幾多の強者どもの魂を引きつけるのではないだろうか。役目を終えたウイグルもそこにいるはずだ。


 

悪役の生き様

いくら大暴れしても、やがて滅び行く悪役の宿命として迎える「死」。 言うまでもなく北斗の拳は悪役の派手な死に方に特徴があり、読者もそれを期待している。 しかし、死の瞬間は派手だが「その後」のシーンにまでその死体が描かれることはまず無い。 それは「役」を果たしてしまえば、そこで悪役の存在意味が消えてしまうからだ。 悪役という役を失った死体は、単純な肉体へと還元する。 それは父と母が出会い、この世に生まれ出て成長し、様々な出会いを経て事をなし、やがて死んでしまう肉体だ。 最初から「悪役」として生まれる人間などいない。 エンターテインメント作品にとって、(不特定の敵の死体は別として)先ほど倒した相手がいつまでも転がっていては、ヒーローの罪悪感が変に出てしまう。 何より作画の邪魔だ。 悪役を殺すヒーローにとって、罪悪感はあってはならない。 つまり、役目を失い、やがて朽ち果てるリアルな悪役の死体は、物語の文脈を追う読者には不快なのである。

役目を全うしたウイグルは、一度ならず二度死んでいる。 トキ登場のための演出の一つではあるが、邂逅阻止を訴えるために読者にとって不快な悪役の死体を息を吹き返してまで見せつけたその執念。 それは肉体を潰されてもなお、立ち上がるという物理的な合理性をも覆した復活シーンに、悪役を超越して極めて人間くさい「生き様」すら与える結果になったのではないだろうか。

死をもって拳王の覇業に殉じたウイグルは、ベタで通俗的な悪役の最期でもそれは本望だと思うだろう。 しかし他のザコたちのように倒された次の瞬間、用済みで片付けられてしまう存在では、残念でならない。 敵として物語を盛り上げたあの熱い情念はどこへ行ってしまうのだろう。 悪役を降りた後も、存在しつづける一人の「魂」を描くことができれば、踏み越えられ見返る者のない悪役魂へ せめてもの手向けとなるだろうと思ったのだ。


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