■■■■INTRODUCTION

 

「北斗の拳」について

物語についての解説は、北斗の拳をあつかったサイトがあまた在るので、ここでは割愛する。

このページを読んでいる人にこのタイトルを知らない人は、まずいないであろうが、アニメを子供のころ見ただけで、案外原作を読んだことがない人も多いのではないだろうか。原作は武論尊、作画は原 哲夫、週間少年ジャンプ1983年41号~88年35号に連載された。当時の世紀末の行き詰まった世相に、核戦争後の混沌から拳法を武器にヒーローが生まれるストーリーが受け入れられた。というよりこれまで無かった必殺技が秘孔を突く斬新なアイデアと、屈強な悪党どもが時間差ではじけ飛ぶショックと痛快さ?がうけ、「お前は、もう死んでいる」というセリフが一世風靡した。アニメ放映開始時、暴力表現をどこまでするのか、から「ひでぶ」「たわば」をどう発音するのかまで問題にされた。人気が上がるに連れ多くのアニメーターも自ら描かせてほしいと名乗りをあげたほど。それにより話ごとに大きく作画が変わる憂き目も見た。

しかし、なんと言っても北斗の拳の魅力は、原哲夫の画力だ。力こそすべて、という混沌の世界を群雄割拠する屈強な男達の描写だ。そして武論尊の浪花節ストーリーにしつこいまでの説得力を与える。当時格闘技をはじめた人に北斗の拳に影響を与えられなかった人はいないはずだ。もし、アニメだけの作品であれば、ただの醜悪で下品なものに終わったでろう。まだ原作を読んだことがない方は、ぜひ読んでみてほしい。

ウイグル獄長とは

カサンドラ監獄の獄長。拳王直属の部下でトキの監視役を担っている。カサンドラは、かつて鬼と呼ばれた凶悪犯たちが哭いて出獄を乞う「鬼の哭く街」。誰も生きて出たことながい不落のカサンドラ伝説は、そのままウイグルの不敗伝説でもあっる。ウイグル獄長は、自らの伝説を誇示するため殺した者の墓を累々と立てさせ記念碑とし、人々に恐怖を植え付けることで、カサンドラを支配していた。

その反面、満ち足りない闘志を満足させてくれる挑戦者を日々待ちわび、ケンシロウの到来を知るや、あらかじめ墓穴まで用意するなどウイグル獄長の闘う事への執着と自信は絶大。実際その強靱な巨体から繰り出す蒙古覇極道は、北斗の拳には珍しい非打撃系のフィジカルな衝突による攻撃にもかかわらず、ケンシロウを一時撃破、失神にまで追い込んだ。 

しかし、最後は自慢の鋼鉄の肉体も北斗神拳に破られ、自ら用意した小さな墓穴に押し込まれ圧死という悲惨な最期を迎える。だが北斗神拳に沈んだかに見えたウイグルは瀕死の状態で墓穴から這い上がり、トキとの遭遇を阻止しようとするが、そこであえなく絶命。 ケンシロウにトドメを刺されて爆死状態から、息を吹き返したした漢は他にいない。トキの重要性を知り、拳王から託されたウイグルの使命感には並々ならぬものがある。

ウイグル獄長はカサンドラの番人とはいえ、ケンシロウが遭遇する組織だった正規拳王軍の初めての敵ボスであり、物語を左右するトキの重要性を演出するために用意された障壁である。物語の展開上、今までのパンク風のならず者たちとは異なる印象を打ち出し、これから始まる拳王との対決、背後の強大な拳王軍との闘い期待感を演出するという役割を担っている。それゆえ原哲夫は敬愛するヒロイックファンタジーの大御所フランク・フェラゼッタに出てくる様な、強靱な肉体の戦士として登場させたかったという。

ケンシロウが拳王ラオウの「力の支配」からの解放者として物語の展開を切り開いていくためには、その大きな[障壁]を崩さねばこの先待ち受ける拳王軍との対決が開けていかない。拳王の強大な影に立ち向かい、恐怖で閉ざされた門をこじ開ける決意をここで見せる必要がある。 これからラオウをめぐる壮大な闘いが展開する、カサンドラがその最初の関門なのだ。「ここで倒れるようなら、この先あいつを待ち受けている恐怖には、しょせん勝つことはできん」と、トキ自身のセリフにもそれが表れている。

ここで、物語の構造的見地から北斗の拳を語る「北斗の庭園」主催者"才兵衛"氏が、カサンドラの設定を分析したの文章を紹介したい。

「・・・・この篇の主題は"危機"だ。ウイグルがもたらす危機ではなく、ウイグル以降に続く危機を暗示している。その危機である拳王軍の強大さを演出する為にウイグルは強くなければならず、トキ救出も困難でなければならなかった。

「・・・・ケンシロウにしてみるとカサンドラを訪れたのはトキを救出する為に他ならず、カサンドラ解放までは望んでいない。 然し承で囚人ライガとフウガが登場、ケンシロウに期待を寄せ救世主として迎える。・・・・抑圧者が強大であればあるほど虐げられる囚人のケンシロウに対する期待は当然高まり、それまでライガとフウガが勝手に担いでいるように見えたケンシロウがその気になったように見える。また此処で示されたウイグルの抑圧は後に御登場あそばされる拳王様が統治する世を予告する意味もある。」

「・・・・カサンドラは解放されたかに見えたが拳王親衛隊が登場し、まだ戦いを終えられぬことが判る。此処でのウイグル獄長の抑圧と絶好調はこの篇で影のみ御登場の拳王様の強大さを演出する為のもので、拳王様が強大であるからこそ一時的にでもウイグル獄長はケンシロウを圧倒せねばならなかった。・・・・ライガとフウガが開いた門はラオウ様と争う戦場への宿命の門だったと読むことも出来る。とした場合、カサンドラじたいを拳王軍の門だったと見なせよう。」

~『北斗の拳』の物語構造についての論攷 三十一篇全比較 09.カサンドラ篇より 「北斗の庭園」

こうしてみると、それまで行き当たりばったりに思えていたカサンドラの展開が、骨太の構造を持ち物語上大きな転機であったことが構造的に浮かび上がってくる。ウイグル獄長の設定も、これから始まる拳王との対決を見すえて用意周到に準備されたいたことが分かる。

 

また1986年の劇場版北斗の拳において、ウイグル獄長は拳王の片腕として鞭をふるい拳王軍を指揮している。拳王の命令で全軍に進軍の号令をかける姿は、原作での設定を超え、伝説の軍団という風格を醸し出している

これは仮説になるが、ウイグルはカサンドラで拳王軍の養成を行い、兵士の供給と編成を担っていたとも考えると面白い。つまりカサンドラは、人間を捨てて拳王の手先になる意外、生きて出れないという意味だ。カサンドラ監獄では捕らえた拳法家の人質を取り、ならず者でもすぐ殺さずに収容しておく必要性があったこと。カサンドラの部隊であれば城壁外へ出ていること。かつて拳王の近くにいてトキとケンシロウの情報に通じていたこと。拳王の命に従い拳王軍を指揮し、時代の役に立たない牙一族には、拳王から一掃を命令されていること(劇場版)、これらから考えるとウイグルの番人にとどまらない側面が見えてくる。(詳しくはギャラリーのコラムを参照)

 

 

 

  

ウイグル獄長のデザイン フランク・フラゼッタへのオマージュ

北斗の拳のビジュアルは、映画マッドマックスとファンタジーアートの大家フランク・フラゼッタの世界に彩られている。中でも拳王とウイグル獄長のデザインは、フラゼッタへのオマージュとでも言えるほど色濃い影響を受けている。ウイグル獄長のヴァイキングやヒロイックファンタジーの様なマッスルで露出度の高いデザインは、ここに由来している。またストーリー的に見ても、初めて遭遇する正規拳王軍のボスキャラということもあり、今までのパンク系と違う伝説の兵団をイメージさせる演出上の狙いもあったのではないだろうか。 

 

フランク・フラゼッタの作品とウイグル獄長

 

原哲夫は、TBS番組「ランク王国」の北斗の拳ランキングにおいて、ジャギやアミバをおさえて「一番好きな悪役」として第一位にウイグル獄長をあげている。大好きなフランクフラゼッタのイメージから、どうしても登場させたかったキャラクターだったとインタビューで語っている。なお、番組として当初「一番好きな悪役」は予定になく、原哲夫がわざわざ提案して盛り込まれたという。 

  
TBS番組「ランク王国」北斗の拳SPより 「原哲夫が選ぶ一番好きな悪役」

 

また、NHK番組「マンガノゲンバ」でも、北斗の拳を描く上でフランク・フラゼッタの絵の世界観に強く影響をうけたとして、ウイグル獄長のイメージ元となった絵を紹介している。フランク・フラゼッタは当時の漫画家、イラストレータ、造形師など、クリエイターにとって絶大な影響を与えた。フラゼッタの代表作は「英雄コナン」シリーズの挿絵で、アメリカでは当時カバーイラストが目的で本が爆発的に売れたという。また、アーノルド・シュワルツネッガーが主演したコナンザグレートのシリーズなど、フラゼッタの世界観を再現した映画も制作された。 

 
NHK番組「マンガノゲンバ」に原哲夫が出演。20代前半にフランク・フラゼッタの絵と出会い感銘、マンガのコマ全部をこんな絵で埋め尽くし、一冊つくるのが夢だったという。   その絵を見たときの感動を「ボディビルの筋肉でなく、闘う男の筋肉だった。しかも前に出てくる感じの迫力があって、これだ!と思った。 その絵の影響をスゴクうけた」と熱く語った。それがまさにウイグルのモデルとなった絵である。

 

       
アーノルド・シュワルツネッガー主演の映画「コナン・ザ・グレート」の冒頭シーン 玉座に座る不屈の王はまさにフラゼッタの世界。ウイグル獄長登場シーンを連想する。   ゲーム「エイジ・オブ・コナン」の一場面。玉座に座る愁いを帯びた不屈の王のイメージは、もはや世界で共有するヒロイックファンタジーのイメージの一つ。2008年の作品だが、こちらの方がウイグル獄長のポーズに酷似。  

北斗の拳でのウイグル獄長の登場シーン。フラゼッタへのオマージュは単にデザイン面だけでなくシーン全体の世界観に影響を与えている。

 

   

 

   
ウイグル獄長のモデルになったフランク・フラゼッタの絵の拡大。顔に大きな傷がある。   Tomas Giorelloによるコミック版「King of Conan」すでに王となった60才の姿。同じ顔の大きな傷が一戦士からの叩き上げで王に上り詰めたことを印象づける。   北斗の拳のウイグル獄長。顔の傷が確認できる。また体中にある傷が百戦錬磨を物語る。不落のカサンドラ伝説とはすなわちトキを獲得する困難と重要さの演出である。
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ウイグルという名前の疑問について

ウイグルという名前にもかかわらず原作で「我が祖は蒙古」と言っていることに、多くの人が疑問に思うだろう。確かにウイグルと聞いて連想するのは、中国ウイグル自治区であり、対して蒙古とは大陸を席巻したモンゴル帝国、つまりかつてのモンゴルであり、国も民族も異なる。だが、ウイグルという名前から中国ウイグル族であるとするのは、短絡的である。

そもそもウイグルという名前はトルコ語系の人名だ(狭義の国名トルコと区別するため、チュルク語系とも言う)正規英語版の北斗の拳でのウイグルの表記は"Wigul" なお、ウイグルの表記は、Uighurが多いが、そもそもアルファベット表記ではなかったのでUyghur, Uygur, Uigur、など代替表記されることもある。ともに英語発音は[w iː ɡ ər] トルコ語では [uː . i ˈ ɡ ʊr] ウイグルという名前は[文明、文明化」を意味する。

正規英語版の北斗の拳のウイグル獄長"Wigul"  出典:[Fist of the North Star MASTER EDITION No.7] 2003年

 

ウイグル獄長は、中国ウイグル族でも モンゴル人でもない?! 

そこで「ウイグル」というトルコ語系の名前と「大陸を席巻した蒙古・・・・」つまり、「トルコ語系民族でチンギスハーンの子孫」というキーワードからウイグル獄長の人種を特定できるのか考えてみよう。原作中では、ウイグル獄長自身が「我が祖は蒙古」と言っているが、モンゴルはトルコ語系民族ではないので生粋のモンゴル人とは言えない。また中国のウイグル族はトルコ語系民族で、モンゴル人ではない。またモンゴル帝国(蒙古)の時代でも属国(天山ウイグル王国)となり一応の独立自治がたもたれ同化はしていない、モンゴルに支配される立場になる。ウイグル獄長はモンゴル帝国の血筋を自慢しているので、中国ウイグル族とも言えない。 

トルコ語系民族でありながら、チンギスハーンの子孫でモンゴル帝国の正当な後継者あると盛んに宣説したのは、モンゴル帝国崩壊後に興ったティムール帝国などである。現在のウズベキスタンなどの中央アジア諸国にあたる。帝国の祖ティムールはチンギスハーンの共通の祖先を持ち遠縁にあたると言い、后にはハーン直系の娘を迎え、自分で王とは名乗らずハーンの婿であると言った。ティムール帝国はハーンの後継者を名乗り、かつてのモンゴル帝国が支配した西半分の領土の支配を果たした。現地では今もティムール帝国の祖ティムールを英雄視している。ウイグル獄長がこれらの地域に由来しているなら、名前の矛盾はおきない。つまりウイグル獄長は、中国人でもなくモンゴル人でもなく、ウズベキスタンなどの中央アジアの出身とういことになる。

 

現在のトルコ語系諸民族(青と水色)   ※モンゴルは入らない。 

 

   

   
現代のウズベキスタンで民族の英雄とされるティムール   トルコ語系民族でありながら、チンギスハーン(モンゴル帝国の祖)の子孫であると盛んに宣説した。   かつての帝国の首都サマルカンドは世界遺産としても有名。

  

  

 

 

有名なTV版アニメの作画クズレ

元々中心となった作画監督は肉体派の描写に定評のあったベテラン須田正巳氏であったが、当時あまりに人気なアニメのため、仕事をやらせてほしいというアニメータが続出したのは有名な話。そして長期間でもあったので、かなりまちまちな作画がおこなわれた。その中でも第40話のカナメプロは異彩を放っている。当時もてはやされた金田伊功(カナメプロ)のまね(しかも未熟な)を若手がしたのだろうが、メインキャラを美形化し念入りに描いてあとのキャラは故意に崩すという変な「ノリ」で仕事をしていては、同人誌のスタンスと変わらない。そんな内部の一時的なノリで仕事をして、公共の電波に流してしまえば後はお構いなし・・・・・それでは作品に対してあまりの責任意識の無さに落胆させられる。 原作にもっと敬意をはらってほしい。そして困ったことに海外においては、北斗の拳と言えばTVアニメ版北斗の拳を指すのである。つまり改変されたシナリオや演出、もちろんアニメのキャラ作画がデフォルトになっている。 このような状況を当時のアニメーターは想像していたであろうか? 残念ながら、制作の現場はとてもそのような状況ではなかったろう。

拳王軍との戦いの第一関門として、ラオウとの対決の幕開けを期待させる位置づけであり、原哲夫がフラゼッタを彷彿させるデザインでそれに応えようとしたにもかかわらず、テレビシリーズでの著しい作画くずれと、的外れな演出からすっかりギャグキャラとして定着してしまった感がある。原作を初めて読んだときにいだいたこのキャラクタの魅力を描き切れていないことは、いまだに口惜しくてならない。放送からかなりの年数がたっているが、この男の猛々しくも愚かで哀れな生き様を独自の観点でイメージ補完しようと思ったことが、このサイト始めたきっかけである。(詳しい経緯は、プロフィールの顛末記で)

また海外においても、作品世界の原点として、原哲夫が魂を打ち込んだ原作「北斗の拳」が読まれることを切に願う。

 

  
  
原作(原哲夫)のウイグル獄長
TVアニメ(カナメプロ)

 

 

 

 

 

ウイグル獄長の鼻の下に髭がない、は本当か? (北斗無双・真北斗無双への疑問) 

PS3・xBOX360のアクションゲーム北斗無双シリーズは、続編「真・北斗無双」で全編の主要エピソードが3Dグラフィックスで網羅され、北斗の拳30周年を記念するにふさわしい大きなエポックだった。原作に敬意を払い、ゲームCGで世界観を再現したという。しかしウイグル獄長に関して言えば、モデル制作に大きな疑問がある。ウイグル獄長の鼻の下に髭がないのはなぜなのか?

結論から言うと、ウイグル獄長の担当デザイナーは、原作である原哲夫の作画よりも海洋堂フィギュアのデザインを参考にしたからである。その元となったフィギュアのデザインは、制作の際たまたま資料にしたページのコピーが悪かったのか、ベタ表現(影を黒で塗りつぶす)を 髭が繋がっていないと勘違いしたのであろう。紙と印刷の良い完全版(小学館)か究極版(コアミックス)で是非確かめてみて欲しい。

 

   
原作の原哲夫が描いたウイグル獄長 鼻の下も髭が繋がっており、実線で描画されている。明らかに離した描写は見られない。   北斗無双・真北斗無双のウイグル獄長 鼻の下に髭がない。
 

 

検証1  髭の変遷を見てみよう。

1984年

【北斗の拳 原達夫の作画】 

(週刊少年ジャンプ)

ベタ・ベタなし共に、髭はつながっている。

2005年

【コレクションフィギュアNo.13】

(セガ・プライズ 海洋堂)

髭はつながっている(造形師:松浦健

2007年

【世紀末激闘録vol.1】

(海洋堂

松浦氏原型の縮小版 個体によっては塗装が僅かに繋がっていないよう見えることも。塗装むら?縮小されているので判別がしにくい。

2009年

【北斗の拳レボリューション】

(海洋堂リボルテック)

リボルテックの可動体。髭がハッキリと分かれている。だが造形的には髭がつながっている!塗装で分け目をつけている。原作の影のベタ塗りを髭がないと誤解か。

2009年

【シマゾウレポート】

(海洋堂直営HOBBY STOCKのレビュー記事)

 

「獄長のひげは、鼻下の所はありません・・・・この忠実さは驚き」鼻下の髭なし説が、レビューサイトから出る。しかし原作にそのような髭の表現はない。明らかにレビューの誤り 

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2010年

【北斗無双】

(コーエーテクモゲームス)

誇張してハッキリ髭を離している。

2012年

【真・北斗無双】

(コーエーテクモゲームス)

誇張して髭を離している。修正されていない。

この髭の変遷で分かるのは、北斗の拳レボリューションの時から髭がつながっていないことだ。しかもそれを海洋堂直営店のレビュー記事が「原作をよーく見てる人はお気づきかも知れませんが・・・・獄長のひげは、鼻下の所はありません・・・・この忠実さは驚き」と紹介している。しかし私がいくら原作を「よーく見て」も、鼻の影をベタ(黒の塗りつぶし)表現しているだけで、鼻の下で髭を離したコマはない。このレビュアーは原作で確認していないか、マンガの「ベタ」表現を知らないのか? 事の発端は、おそらくリボルテックの造形師が制作する際、参考にした数コマのコピーで、たまたま髭のベタ塗りを繋がっていないと勘違いしたのではないだろうか。本当に原作の全ページをよーく見ていたのであれば、分かるはずである。印刷の悪い古い雑誌や復刻版の中には不鮮明で判断しかねるコマもあったかもしれない。それが原因ではないだろうか。

 

 

検証2  海洋堂フィギュアの造形と 北斗無双シリーズのモデリングの共通点を見てみよう。

   

原作「北斗の拳」の原哲夫による作画(ノーススターピクチャーズ・コアミックス

フラゼッタの世界を思わせるデザイン しかし明確な固有色を判別できるカラー原稿はない。(海外のプロダクション制作のカラーは存在)

 

写真は世紀末激闘録のフィギュア リボルテック版も基本造形は同じ (海洋堂)

 

 

北斗無双シリーズのモデリング (コーエーテクモゲームス)

全体にカラーリングはフィギュアと共通している。

 

 

共通点の詳細

原哲夫による作画 フィギュア 北斗無双シリーズ

 

 
 
鼻下にベタがないアップのコマは、ハッキリ髭が繋がっていると分かる。右のコマのようにベタ部分であっても髭の実線の流れからこれは影の表現だと分かる

左のセガ・プライズ版では完全に繋がっている。また繊維状の物を固めて造形したのが分かる。右のリボルテックの世代になると、鼻下を塗り残して髭を分離している。しかし造形的には髭がつながっている

リボルテックよりハッキリとした髭の分離をしている。アゴ髭も刷毛を貼り付けたようで不自然。髭が直線的でセガ版をCG再現した感じ。実際に髭のCGテクスチャーは筆もしくは刷毛が使われている。右:北斗無双、 左:真・北斗無双。

 

原哲夫による作画 海洋堂フィギュア 北斗無双シリーズ
羽根飾りは白く、薄くしなやか。原作の赤黒2色刷りページであっても、羽根飾りが赤いのは1コマのみ(恐らく塗り間違いだろう) 羽根飾りのピンクがドぎつい。造形時に古代ローマ軍の兜を参考にしたのかもしれない。造形の手がかりにはなるが、時代考証は特に意味をもたない。髭同様に刷毛か筆を束ねて固めて造形した跡も確認できる。角は大型化している フィギュアのデザインを踏襲。羽根飾りは、もはやピンクのデッキブラシである。角はより大型化している

 

小手

スネ当て

原哲夫による作画 海洋堂フィギュア 北斗無双シリーズ
 
 
 
小手とスネ当ては一見、革製に見える。しかし兜やベルトとのバランスから考えると金属製とも見える。全体に打ち出し模様が施され、丸い模様はクレーター状に凹んでいる。(金属色はTVアニメ版から定着) 金属製の表現がされている。ブーツの甲の返しまで金属になっているのはおかしい。丸い模様は凸型の赤い装飾がはめ込まれている

甲の返しまで金属。装飾も赤く凸型で数は増えている (北斗無双 設定資料のデザイン画:コーエーテクモゲームス)

 

革製パンツ 原哲夫による作画 海洋堂フィギュア 北斗無双シリーズ
平面的で堅い革の質感、さらに上部は二重に補強されて鋲で留められている。補強部はよく見ると複数のコマで下部とちがう質感描写になっており、金属板にも見える。袴(カタビラ)とあいまって防具的な堅牢さがあり、雰囲気を壊していない。使用上から考えると肌に直接はかず、下に褌をつけているのでは? 密着するように下半分がカプセル状になっている。ヒロイックファンタジーに金的プロテクターを着けさせるつもりだろうか?モッコリパンツは強調しすぎで、雰囲気を壊している。

これはもはやブリーフか海パンか。海洋堂フィギュアの革製モッコリパンツが引き継がれている。これを直接ずっと肌に着けていたらどうなるか恐ろしい。ただし上部の補強パーツはなく、実際のCGには鋲もついていない。 

(北斗無双 設定資料のデザイン画:コーエーテクモゲームス)

 

(カタビラ)

原哲夫による作画 海洋堂フィギュア 北斗無双シリーズ

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蒙古覇極道をケンシロウが受け止めた瞬間のコマ、ウイグル獄長の体の重量感は大迫力だ。袴の後ろは3つのパーツに分かれており、接合部で重なり合っている。 リボルテックの袴の後。三つに分かれているが原作と違い隙間がある。この隙間はどちらか言うと型抜き製造上の制約からか。重なりの再現は無理。 真・北斗無双 蒙古覇極道を受け止めた瞬間の獄長の袴。切れ込みがあるが、フィギュアの袴と同様に隙間があるのが分かる。防具の目的上、隙間があったらいけないのでは?律儀にフィギュアを再現している。

以上の共通点から分かることは、北斗無双のデザインは、原哲夫の原画よりも、フィギュアをお手本としている傾向が強いと言うことだ。

 

 

検証3  北斗無双シリーズでは、ウイグル獄長と巨漢タイプのボス(ザコ)のデザインを流用している。

デザインの流用

(北斗無双シリーズ

ウイグル獄長(北斗無双) 巨漢タイプのザコ(北斗無双)

ベルトと革のパンツが共通。足、肩、胸の傷も共通。基本的にデザインを流用している。これは真・北斗無双にも同様。 モーションも同じ。原哲夫が「一番好きな悪役」としているウイグル獄長のデザインは、北斗無双において開発リソースの優先度が低い 

 

 

           

これまでの検証をまとめると

北斗無双シリーズのウイグル獄長の髭が、なぜつながっていないのか?という原因として、基本的にデザインは、原作の原哲夫の作画よりも、海洋堂のフィギュアを参考にしていることが明白である。しかもそれが高じて、海洋堂フィギュアのレビューを根拠に、髭の隙間をより誇張しているのが、変遷からも分かるだろう。これは原作よりメディアに載った情報を 自分で吟味せずに鵜呑みにしてしまったメディアリテラシーのエラーだ。またその一方で、原哲夫がフランク・フラゼッタから強い影響を受けていることは、少し調べればクリエイターなら容易に分かるはずだ。ザコ兵士とデザインの流用がされているのは、原哲夫が「一番好きな悪役」としているウイグル獄長のデザインが、北斗無双シリーズで低く扱われている現れだ。それで原作への愛を込めたとと言えるのだろうか?原作のファンとして強い不信感をおぼえる。

北斗無双のプロデューサー鯉沼久史氏は、ゲーム誌インタビューの際、こう語っている。

「私はリアルタイムで漫画連載を読んでいた世代なんですけど、開発の現場は年がもっと下の人もいますし、それこそ連載開始当初にはまだ生まれていないといった人もいます。原作のスタートは26~27年前。自分自身もそうですけど、アニメ世代の子や「『北斗の拳』って何?」てスタッフにもまずはきっちりと原作を読ませて、というところから始めました」「先生が本気で「北斗の拳」を愛していらっしゃるのは痛感しました・・・・中略・・・・ただ、現場は凄く大変でした」「でも、原作を大切にされている先生の想いにはこたえなきゃいけないですよね・・・・中略・・・・(デザイナーから)「これ以上直されると間に合わないんですけど」という声を何度か聞きました。」

鯉沼氏の原作に対する「愛」をゲーム制作に込めたことは分かるが、ウイグル獄長と巨漢タイプのザコを担当する末端のデザイナーまで、その「愛」が届いていなかったように思われる。また、原哲夫が要求するデザインの完成度に応えるためには、開発リソースをプレイアブルのメインキャラに集中させることも必要だったことが、容易に想像できる。

もうひとつ、担当デザイナーの名誉のためにここで北斗無双 設定資料集に掲載されたウイグルにつてのCGディレクターのコメントを紹介しておこう。

「このキャラは、かなり顔が凶暴で、特徴的な目の周りの陰影感やシワの感じなど、なるべく再現するようこだわって作りました。登場キャラクターの中では特に肌の露出度が高くて、筋肉の描き込みも頑張らなくてはいけないキャラクターでした。」

確かに原作のウイグル獄長の目の周りは、兜の影が多く入っている。しかし、それはマンガという静止画での表現である。常に動きがあるCGで顔に一定の動かない陰がのっているとしたら、それは陰影ではなく、顔に施されたメイクであり、とても違和感がある(空を見上げているシーンも目の周りが真っ黒だった)。表現の目的と手段がちぐはぐで、それで再現したと思ってるのは稚拙な技術レベルである。また、頑張ったとしている筋肉の描き込みがザコと同じなのは、こだわりとは違う「省力化」方向の現れだろう。

だが担当デザイナーが労力的に頑張ったのは事実であろう。限られた時間の中でゲーム開発を終わらせなければいけないのも理解できる。しかし努力はするが無闇に脇役のキャラクターに時間をかけるわけに行かない、という事情もあっただろう。ただし、仕事はすべて結果によって世の中から評価される。今回の検証でも明かなように、原哲夫の作画に対するこだわりがキチンとくみ取られてCGに昇華できただろうか?「頑張った」だけでは、この検証結果を覆せない。残念ながらウイグル獄長の開発リソースの優先順位は低く、その再現がうまくいったとは言えない。 

一方、続編である真・北斗無双においてはCGも多少ブラッシュアップがなされ、やみくもに陰影をつける傾向については軽減された。造形の未熟さは変わらないが、この点はデザインの向上として評価したい。もし仮にPS4など新しいハードで北斗無双シリーズの続編開発が進められているとしたら、マシンパワーによるCGの飛躍的な向上は当然としても、何より原哲夫が「一番好きな悪役」とするウイグル獄長のデザインの扱いが向上することに淡い期待を持ちたいのだが・・・・・・開発陣が同じでは過度な期待は酷だろう。